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当館は1728年、ルイ15世おかかえ軍事建築家であったアントワン•マザン の設計により完成しました。設計者の名を冠し、オテル(邸宅)•マザン•ラファイエットと名付けられました。その後、19世紀なかばセーヌ県知事のオスマンによるパリの都市改造で館の前のダンジュウ通りの幅が拡大されたのですが、幸いなことに館はもとのかたちのまま残されました。1931年に複数オーナーの共同所有になったものの、ルイ15世、ルイフィリップ時代の風格をそのまま引き継いでおります。レストランは館の客間だった場所に設けられ、パリの保存建造物に指定されています。